
こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「ナナへの気持ち」について解釈していこうと思います。
この詞は、スピッツの曲を解釈してきた私からすると、めっちゃ不自然なんです。というのも、マサムネさんが作る詞に出てくる女性は、特徴がほとんど描写されておりません。姿かたちが、私たち聴いている側からは見えないようになっているのです。姿かたちが見えない相手に対して、マサムネさんは自分の心情を描いている、というのが、いつもの詞のパターンなのです。
マサムネさんの詞は俳句のような感じで、詞の隅々まで意味があります。膨大な言葉を集めて取捨選択し、削ぎ落していって、本当に必要な部分だけを残して完成するのです。その過程で、相手の容姿に関することとか、仕草とか、性格とかは、「うーん、この詞のテーマとはあまり関係ないかな」と判断して、大部分を削ぎ落してしまうのです。でも本当に必要な、ひとこと、ふたことだけが残っているために、私たちはそこから想像したり補完したりして、広い詞の世界を楽しむことができるのです。
ところがこの、「ナナへの気持ち」では、ナナの姿かたちが、はっきりと描かれています。「日にやけた強い腕 根本だけ黒い髪」という表現は、めっちゃ削ぎ落した後に残った、めっちゃ必要な情報なのです。マサムネさんの詞の作り方から判断すると、そういうことになるのです。
これはいったい、どういうことなのでしょう?
これらのことを想定して導き出した、この八百屋さんなりの結論なんですけど、ナナは、この詞の主人公が自殺するのを止めてくれた人だったんじゃないかなと。
なんやそれ、と思いましたか。まあこの時点では、誰でもそう思うと思います。
詞を順番に眺めていきながら、主人公とナナに何が起こったのかを、解釈していきましょう。
誰からも好かれて片方じゃ避けられて
前触れなく叫んで ヘンなとこでもらい泣き
たまに少しクールで 元気ないときゃ眠いだけ
大事なこと忘れていった
この部分。いったい何の話をしているのでしょう?
これ全部がナナの普段の性格だとしたら、「ちょっと性格が変わった娘」という解釈になると思います。なんかズレている、って感じの。かくいう私も、今まではずーっとナナを、ヘンな娘だと思っていました。マサムネさんは、こういうヘンな娘がタイプなのかな、と。
でもこの場面は、普通の性格をしているナナと「街道沿いのロイホで 夜明けまで話し込」んでる場面だったとしたら、どうでしょう? それも、めちゃめちゃ重要な案件を、二人で話しているのだとしたら……。
普通にロイホでしゃべっているだけだったら、他のお客さんの目もありますから、前触れなく叫ぶことも、ヘンなとこでもらい泣きすることも、あまりないと思います。でも人生にかかわるような、めちゃくちゃ重要な案件をふたりで話しているとしたら、人目もはばからず、感情が溢れても仕方がないではありませんか。
また、「誰からも好かれて片方じゃ避けられて」というのは、ナナのことだと思います。
でもナナがもし「ちょっと性格が変わった娘」だとするなら、「誰からも好かれて」という部分と「片方じゃ避けられて」が矛盾しちゃいます。誰からも好かれているなんてことはないやんけ、ってことになっちゃいますからね。
この場合、「誰からも好かれて」と描かれていますので、本当に誰からも好かれる、めちゃめちゃ綺麗な性格をしているのだと解釈したいです。一方で、「片方じゃ避けられて」というのは、ナナの容姿に関する話だと思います。ナナは、後ほど出てきますとおり、ギャルな恰好をしているわけです。このせいで、内気なオタク系男子などにしてみたら「あ~、僕とはご縁のない人だね」と敬遠してしまうことでしょう。この主人公もまた、内気なオタク君であったため、ついさっきまでは、ナナは自分の人生には関わらない人だと認識していたのだと思います。
さてこの主人公は、死のうと思っていました。理由は明確ではありませんが、生きて行くことに疲れたのでしょう。鬱になったり「死のう」と思ったことのある人なら、この感覚がわかると思うのですが、自分の感覚が死んだようになって、何も考えられなくなるのです。一方で、目の前で起こった出来事が、やけに鮮明に頭の中に入ってくるのです。この詞では、自分の眼の前で、自分のために叫んだり、泣いたりしているナナのことが、やけに明確に語られています。加えて、鷹揚のない声でそれを歌っています。主人公は死ぬ直前で、ナナの強い腕で強引に救われて、近くのロイホに引きずり込まれて朝まで説教を受けている、という場面が、なんとなく浮かんでくるような表現です。
そう考えると、「前触れなく叫んで」は、主人公とあまり接点のなかったナナが「お前何考えてるんだよ!」と、感情にまかせてぶん殴ってくるイキオイで叫んでいるところで、「ヘンなとこでもらい泣き」は、主人公の鬱の原因に対して同情してくれている部分だと思います。心が死んでしまっている主人公にとっては、「ナナさんは、どうしてこんな僕のために叫んだり、泣いたりしているのだろう……?」と不思議に思っていますが、普通に優しい性格のナナからしてみれば、叫んで当然のところで叫んだり、泣いて当然のところで泣いているのです。
そうやって、ナナさんは僕の境遇に感情移入して、怒ったり泣いたりしていますけれども、「元気ないときゃ眠いだけだ」と、なんか正気に戻ったように、たまにクールにアドバイスをしてきたりします。「元気が出ないのは、寝てないからじゃないか? 寝ないと頭がおかしくなるんだ。ちゃんと眠れているのかお前は」だなんて、言ってきたりもします。
そうやって、長々とナナと会話しているうちに、僕の中で、死を望む強い気持ちというのがだんだん薄れてきました。「大事なこと忘れていった」のは、僕のほうなのです。
つまり、この部分の詞は、ナナが変てこりんな性格であることを現わした詞ではなく、僕とナナとの、命のギリギリのやりとりを描いた壮絶な場面だと思うのです。
ガラス玉のピアス キラキラ光らせて
お茶濁す言葉で 周りを困らせて
日にやけた強い腕 根本だけ黒い髪
幸せの形を変えた
ここは、主人公が死ぬ直前に、ナナに救われた場面なのかなと思います。
鬱で死ぬ直前は、自分の心が先に死んでいるので、自分の気持ちについては無自覚です。一方で、まわりで起こっている出来事なんかは、走馬灯のようにはっきりくっきり見えてくるのです。僕がビルから飛び降りる寸前、後ろから日に焼けた強い腕が伸びてきて、僕をがっちり掴みました。振り返ると、ナナの顔面が目の前にあり、付けていたガラス玉のピアスが、やたらキラキラと光っていました。それからナナの、根本だけ黒い髪が見えました。ナナは金色に髪を染め上げていたのだと思いますが、ナナも焦って僕を抱きとめているので、髪がふんわり乱れたのだと思います。その時に見えた、「ああ、ナナって根本だけ髪が黒いんだ」という、半ばどうでもいいことが僕の脳裏に焼き付いたということなのだと思います。
「だれかー!誰かきてくださーい!」と、ナナは必死です。とはいえ、「この男子、自殺しようとしてまーす」と僕を責めるようなことは、優しい性格なので言えません。「なんか手が滑ったみたいです!なんかわかんないけど、助けてください!」とか、訳のわからないことを口にして、「お茶濁す言葉で」助けを求めたのだと思います。周りは僕にではなく、訳の分からないことを言うナナに困ったことでしょう。「金髪の女の子がふざけて、男の子をビルから落そうとしてるのか」とさえ、見えたと思います。そうやって周りを困らせているナナですが、心の死んでいる僕は、他人事のように眺めています。
でも、この時のナナの捨て身の救出劇により、僕の「幸せの形」は変わったのです。
ただのギャルの綺麗な容姿に、幸せの形を変えさせられたという、そんな単純な話ではないのです。ナナの優しくて強い気持ちが、僕に生き方を変えさせたのです。
なのでこの詞のタイトルが、「ナナへの気持ち」になっているのです。
だからナナ 君だけが ナナ ここにる
ナナ 夢がある 野望もある たぶんずっと
自殺寸前にまで追い込まれていた僕には、何もありませんでした。僕の心には、何も残っていなかったのです。
そんな僕の心のスキマに、ナナが無理やり割り込んできました。「おめー、死にたいとか、考えてるんじゃねえよ」と、説教してきたのだと思います。
ナナさんによる、ロイホでの事情聴取にて、僕は「死にたい理由」を供述させられました。たぶん「僕には何もないんだ」的なことを言ったのだと思います。
それに対してナナは、自分の夢とか野望とかを、語ったのだと思います。でもお気楽なナナなので、僕からすると、目標がはっきりと定まっていない、浅い夢を語られたのだと思います。
「浅いとおもう」と僕は冷笑してみましたが、ナナは僕の瞳をはっきり見据えて、クールに言い返してきます。「私の夢は浅いかもしれないけれど、叶うかもしれないよ。だって生きているから。そういうおめーはどうなんだよ。どんな夢を持っていたとしても、死ねば絶対にかなわねーじゃねえか」
「生きていたとしても、叶わないとしたら、むなしいだけじゃないか。どうせ人は死ぬ。絶望の期間が長いなら、早く死んだ方が手っ取り早い」
「わかんねえやつだな。夢とか野望は、追いかけているうちが楽しいんじゃねえか。それに、夢とか野望を、絶望しながら追いかけたところで、手に入ると思うのか。浅いのは、おめーだよ」
僕は、夢とか野望のくだりで、ガーンとなったのだと思います。ナナに反発したい気持ちとか、自分の主張をしたい気持ちとかが、これっぽっちもなくなって、ただただナナが言ってくれる、慰めてくれる言葉に同調したい気持ちなったのだと思います。
死にたい気持ちがなくなって、「だからナナ 君だけが ナナ ここにる」という気持ちに、なったのだと思います。
街道沿いのロイホで 夜明けまで話し込み
何もできずホームで 見送られる時の
憎たらしい笑顔 よくわからぬ手ぶり
君と生きて行くことを決めた
「街道沿いのロイホで 夜明けまで話し込み」は、これまで述べてきた通り、ナナが自殺しようとしている僕を助けて、ロイホで説教している場面だと思います。
「何もできず」は、この解釈に沿えば、「死にぞこなった」ということです。また、「見送られる」のは、ナナが僕を見送ってくれているのです。普通は男性が女性を見送るものでしょうけれども、状況が状況だし、ナナは優しい娘なので、僕を気にかけてくれて、こうして送ってくれたのです。
「憎たらしい笑顔」も「よくわからぬ手振り」も、マサムネさんの歌詞づくりの方針からすると、普通のお見送りだったら不要な情報として削ぎ落されていたことでしょう。でもここは、ナナの手によって僕が死の淵から生還して、自分ひとりで電車に乗って、生きて行こうとしている場面なのです。その時の情景を、言葉に残さざるをえなかったのだと思います。
ナナは、憎たらしい笑顔をしていたとのことですが、少なくとも、僕のこれからを心配するような、深刻そうな顔ではなかったようです。よくわからぬ手振りにも、ナナの心配りが見えます。バイバーイ!ってのは、違うな、と思ったのでしょう。この心優しい娘は、きっとまた会おうね、というサインをしようと思ったのだと思いますが、該当するサインが見当たらなくて、迷って、よくわからない手振りになってしまったのだと思います。
「君と生きて行くことを決めた」は、ここまでの流れから想像すると、ナナと結婚しよう、という意味ではないと思います。君と同じく、この地球で、息をして、生きて行こうと決めた、ということだと思います。「生きて行くことを決めた」の部分が大事なのだと思います。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
こうしてみると、ナナの人物像というのが、ガラッと変わったと思います。詞を文字通り追っていくと、なんか変な娘だな、としか思えなかったと思うんですけど、こう解釈してみると、ナナの行動にはちゃんと意味があって、ちゃんとしっかりしている、ということがわかると思います。
どう解釈するかは、本当に個人個人の心次第だと思うんですけど、ナナがめっちゃいい娘に見えてくるので、この解釈はおすすめです。
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