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スピッツ「ナイフ」は、打製石器のことだった説。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「ナイフ」について解釈していきたいと思います。

この曲は、ちまたではエロい曲だとされているようです。ナイフを男性器に例えて、3月の君のバースデイになったら性行為するのだとか。なるほどなるほど。

私はエロが苦手ですので、なるべく避けたいなと思っていますが、エロい曲としてしか解釈できない場合は、降参ですエロい曲です、と申告するようにしています。諦めて、真面目に、どうエロいのかを解釈しています。

が、この曲に関しては、エロい曲ではないと本気で思っています。だってナイフを中に入れるなんて、めっちゃ怖いじゃないですか。そういう女性目線がまったくない、独りよがりな思考は、マサムネさんだったらしないかな~って、思っています。

かつ、「果てしないサバンナを~」からのくだりが、性行為として解釈した場合、意味が薄くなってしまいます。盛り上がる場面で意味が薄くなってしまうのは、作り方として不自然です。もっとも盛り上がる場所が、もっとも意味が濃くなるように解釈をしてあげるのが、詞を作った人の願いに寄り添えるんじゃないかなと思います。


というわけで、今回はこの詞を、エロくない方面で解釈することになります。エロを期待していた方はどうもすみません。全裸になって待機していた方は、どうぞ着衣を身につけてから読んでくださいませ。

ブログタイトルにもありますとおり、この詞におけるナイフとは、打製石器のことを表していると思います。神様視点のマサムネさんが、まだ文明も知らないご先祖様に、打製石器を授けた、というのが、この詞の流れだと思います。

打製石器は、人類の発明の中ではもっとも古く、また、もっとも人類に発展をもたらした道具のひとつです。この道具を手に入れることができたからこそ、サルからヒトに進化ができたといっても過言ではないでしょう。そのぐらい重要なものなのです。

どうですか。眠くなってきましたか? エロを期待していたら、歴史の授業が始まったという、どうにもやるせない話ですよね。ここに迷い込んでしまったからには運の尽き、どうぞ我慢して、この私の、ナイフの歌詞を元にした壮大な歴史の話に、お付き合いくださいませ。



君は小さくて 悲しいほど無防備で

無知でのんきで 優しいけど嘘つきで

この部分、文明社会に生きる現代人に向けたものだとしたら、あまりにも辛辣な言葉ではありませんか。愛情のある目で見ているとわかるからまだしも、ツイッターで見ず知らずの人から言われたら、誹謗中傷だと思うでしょう。なんて暴言を吐くんだ、と。

しかしながら、これが自分たちのご先祖様である、知能が発達していない脊椎動物に向けた言葉だったら、ただの事実となります。猫も犬もサルも、私たち現代人から見れば、小さいし、悲しいほど無防備だし、無知でのんきで、優しいのです。唯一、猫や犬など他の脊椎動物と比べて、私たちのご先祖様が違う点といえば、「嘘つき」であることでしょうか。コミュニケーションがある程度発達していたので、こういう側面はあったでしょう。違いは、そのくらいです。



もうすぐだね 3月の君のバースデイには

ハンティングナイフのごついやつをあげる 待ってて

「3月」とは、暦の上での3月という意味ではなく、人類の歴史全体を暦に見立てた時、3月にあたる部分のことを指しているんじゃないかなと思います。1月は、氷河期を生き残った小動物が、人間のご先祖様たるサルになった月で、12月は人類が滅亡する月となります。私たちが生きている現代は、文明がもっとも開化している8月か、文明の実りを享受できる9月でしょう。文明を実りとするなら、種を仕込むのは3月です。私たち9月に生きる現代人は、3月を生きたご先祖様が種を植え付け、4月5月のご先祖様が葉を茂らせ、そうやって培ってきた実を、ありがたく食べているというわけです。

なので、もし現代に神様視点があるとするなら、現代人が文明を享受するには、3月に文明の種を植え付けておかなければいけません。ハンティングナイフは、文明の種なのです。「ごつい」のは、ただ石を割っただけの打製石器だからです。このごつい打製石器を、もっと使いやすく改良していく過程で、人間はさまざまな知恵を身につけ、進化していくことになるのです。



君がこのナイフを握りしめるイメージを

毎日毎日浮かべながらすごしてるよ

目を閉じて不完全な部屋に帰るよ

いつになっても 晴れそうにない霧の中で

ここは、マサムネさんが自分の部屋で、ひとり悶々としている様子が描かれています。悩んでいる内容としては、「人間の進化って、何なのだろう?」ということについてです。大変高尚なテーマですね。

文明が進んだからといって、すべての問題が解決するわけではありません。文明の発達は、差別や貧富、暴力や戦争、環境破壊など、さまざまな問題を産み出しました。現代人たるマサムネさんもまた、「不完全な部屋」に棲んでいるのです。どうして数多くのご先祖様が悩んで悩んで文明を作り出してきたはずなのに、現代人はこんなに不幸なのだろう、というところからマサムネさんの思考がはじまり、その思考は打製石器を握りしめるサルのイメージまで遡ってしまいました。そうやって考えても、マサムネさんの求めていた答えには、たどり着けそうにありません。「いつになっても 晴れそうにない霧の中で」マサムネさんは悩み続けているのです。



果てしないサバンナを行く しなやかで強い足で

夕暮れのサバンナを行く ふり向かず目を光らせて

血まみれの夢許されて 心が乾かないうちに

サルからヒトへ枝分かれして ここにいる僕らは

「果てしないサバンナ」を駆けていくのは、打製石器をもって狩りをしている、私たちのご先祖様です。この打製石器があったからこそ、私たちのご先祖様は、サバンナの王者になりえたのです。他の動物を捕らえて食べたり、猟犬として手名付けたり、馬に乗ったり、できるようになったのです。

「血まみれの夢」は、現代人にとっては悪夢かもしれませんが、この時代のご先祖様にとっては、長年望んでいた歓喜の夢なのです。これまでは、動物の皮を剝ぐのには大変な苦労がありました。歯で噛みついて、野生動物の強靭な皮膚を裂かねばならなかったのですから。でも打製石器の登場により、獲物を仕留めることもできるし、仕留めた動物の皮を剥いで、肉を切ることもできるようになりました。加工、調理ができるようなったのです。

「サルからヒトへ枝分かれして ここにいる僕らは」は、ご先祖様が培ってきた文明の上に、私たちの生活が成り立っているということを表しています。今では、自分の手で狩りをする必要もなく、精肉を自分の手で行う必要もなくなりました。あらかじめ加工され、パック詰めされた肉をスーパーで購入するだけになりました。

その結果私たちは、「しなやかで強い足」を失い、周囲の危険に「目を光らせ」る能力もなくなりました。文明の利便さに胡坐をかいて、「心が乾いた」状態になっているのです。「いつになっても 晴れそうにない霧の中」にいるような状況に悩まさせることになりました。精神世界における、現代病といえるでしょう。

私たちが手に入れ、そして失ったものは何なのか。この観点から人類の歴史に想いを巡らせているのが、このシーンなのだと思います。



蜜柑色の満月が膨らむ午後6時に

シルバーのビートルを見かけたんだ20号で

今度こそ何かいいことがきっとあるだろう

いつになっても 晴れそうにない霧の中で

「シルバーのビートル」は、ドイツ車です。一方で、打製石器のはじまりは、ドイツ人の祖先である、アングロサクソン系の人々だとされています。石を割っただけの打製石器からはじまり、磨製石器、鉄器と発展し、現代では自動車にまでなりました。マサムネさんが、人類の歴史に想いを馳せている時に、この珍しいドイツ車を見かけたのは、並々ならぬ感動があったのでしょう。

また、先ほどは人類の歴史を暦に見立てたものがでてきましたが、今度は日付を通り越して、時間が出てきました。ここは単なる事実で、みたとおりのことを述べているだけなのかもしれませんが、同時に、何かの意味を表現したい意図があるのかもしれません。藤原道長が権力の絶頂期に詠んだ歌で「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」というものがありますが、人類にとっても今が絶頂期であるといえるかもしれません。現代人として今を生きる誰もが、「蜜柑色の満月が膨らむ」文明を享受できる、藤原道長なのです。でもこれは、午後6時のことです。これからは闇の時間に突入することになります。文明の陰り、もしくは、文明が発達したことによる弊害が、大きくなっていくことを示唆しているのかもしれません。

でも、マサムネさんはいろいろ考えた末、「今度こそ何かいいことがきっとあるだろう」という思考にたどり着いています。文明は、皆がよかれと思って発達させてきたものなのです。ドイツのシルバーのビートルを、日本の20号で見かけたのは、その象徴なのです。

文明は、差別や貧富、暴力や戦争、環境破壊など負の遺産をもたらしましたが、これから先も人類の時間は続いていくのです。いつか、差別や貧富の差がなくなる発明が、暴力や戦争をなくす発明が、環境を取り戻す発明が、生まれてくるかもしれません。人間の知恵は、どんなものだって乗り越えられる。今はまったく晴れそうにない霧の中にいるけれど、いつかは晴れるだろう。そう考えるに至ったのだと思います。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

打製石器説は正しいと、個人的には思っていますけれども、だからといって、既存のナイフ男性器説を否定するつもりは毛頭ございません。なんか自説の正当性を主張するあまり、既存の説を攻撃するような流れが最近目立つんですけど、そんなの歌詞の世界を狭めるだけです。正しいことしか認めないような風潮は、かえって有害なのです。それこそ、ナイフの詞の中にある、「いつになっても晴れそうにない霧」の中で、息苦しい思いをするだけになるのです。私たちのご先祖様は3月に打製石器をプレゼントされましたが、詞の内容に正しさを求めたり、他人の解釈を否定しているような発展性のなさでは、次の月の節目になっても、プレゼントを頂けないでしょう。

なので、ここまで長々と解釈しておいてアレですけど、エロい解釈、全然いいと思います。どんな解釈であろうと、みんなで詞の世界を、楽しく泳いでいきたいですね。




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