
こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「タイムトラベラー」について解釈していこうと思います。
この詞は、おもに事実関係で構成されている詞だと思うのです。つまり、事実関係を整理すれば、この詞の目的である「君と似ていたママに 答えをきくため」の答えと、「変わって行くために」の意味が見えてくるんじゃないかなと思うのです。
というわけで、詞を分解して、事実関係のみをわかる範囲で抜き出してみましょう。
うす暗い屋根裏で 見つけたその扉
ほほえむ静かに 埃をはらったらすぐに
誰だかわかるはず
時代のすき間へと つながるたそがれに
鳥居を抜ければ そこはまぶしい過去の国
涙をこらえてよ
さあ 僕が産まれる前の
さあ 君と似ていたママに 答えをきくために
よじれた歴史から 消せないあの街で
とびかう鳩さえ タマゴの中にかえってゆく
忘れているのかな
冷たい風になり 背中にキスしたら
震えて笑った 君のことを誰よりも
大事に思ってた
さあ 僕が産まれる前の
さあ 君と似ていたママに 答えをきくために
変わって行くために
「うす暗い屋根裏で 見つけたその扉」
→タイムトラベルの入り口
「埃をはらったらすぐに誰だかわかるはず」
→埃を払ったものに人物が描かれている。写真か絵。
「鳥居を抜ければ そこはまぶしい過去の国」
→鳥居がタイムトラベルの出口。かつ日本の街
→過去に比べて今現在はあまり輝いていない
「僕が産まれる前の君と似ていたママ」
→今の君のママには答えがきけない
→僕が産まれる前のママでないと、答えを知らない
→つまり、僕が産まれる前にママが亡くなった?
→僕より君のほうが年上
「よじれた歴史から 消せないあの街」
→よじれた、とは本来の関係からずれた状態
→つまり、何か重要な出来事があり、今現在は消滅してしまった街
→この事故、事件により、君のママが亡くなった?
「とびかう鳩さえ タマゴの中にかえってゆく 忘れているのかな」
→タイムトラベルにより時間の流れが逆になり、鳩がタマゴの中に還っていく光景を眺めている
→街ごと消えるような大規模な事件事故がこの前にあったことを、この鳩たちは忘れて、この街があった場所に平和にタマゴを産んでいるのかな?
「冷たい風になり 背中にキスした」
→君のママを試してみるために僕が魔法を使って、背中に冷たい風を吹き付けてみた。
「震えて笑った 君のことを誰よりも大事に思ってた」
→その結果は、君のママは、寒いね、と笑って、君が寒くならないように大事に包みこんでいた。
→僕はその様子をみて、君は君のママに大事にされていたんだ、と確信した。
まとめると、君のママと君は、昔あった街に住んでいた、そこで起こった事件事故で街ごと消滅してしまった。君は生き残ったけれど、君のママは事故で亡くなってしまった。ということがわかると思います。
さらに考察したいのが、なぜ僕がわざわざタイムトラベルまでして、君のママに聞かなければいけなかったことは何か、ということです。この内容というのは「震えて笑った 君のことを誰よりも 大事に思ってた」にあると思います。僕はこのとき、君が君のママに大事にされているかどうかを試しました。ということは、君のママに聞こうと思ったのは、ほぼ君に関することだと思います。
ここまでが、詞の中からわかることで、この先は私の想像になります。
ブログタイトルにて炭鉱事故と書きましたが、この炭坑事故とは、1963年に福岡県大牟田市三川町で発生した、三井三池三川炭鉱炭塵爆発のことを指しています。
同じ福岡県でマサムネさんは生を受けましたが、それはこの事故の4年後の1967年のことでした。同じ時期の福岡県での出来事であること、そしてこの事故の影響、裁判が後々まで続いたことから、マサムネさんの心を大きく揺さぶった事件であることは間違いないと思います。加えて、炭坑の安全のため三川町にはいくつか鳥居があったこと、そして事件の影響により炭坑産業は衰退し、やがて閉山したことにより三川町に大きな影響を及ぼしたこと。これら一連の流れが、詞で語られた事実関係に、一致するような気がするのです。
同じ福岡市でマサムネさんと知り合った「君」は、炭坑事故でママを亡くした女性で、「ママは私なんかどうでもよかったんだよ。仕事ばっかりでさ。家で遊んでもらった記憶なんて、全然ないな。結局炭坑事故で死んじゃったけど、別に何にも思わないよ」なんて、すさんだことを言ってきたことがあったのかもしれません。マサムネさんは「そんなことないと思うけどな…」なんて気休めをいうしかありません。当のママは、マサムネさんが産まれる前に亡くなってしまっているのですから、確かめる術がありません。
なので、マサムネさんがタイムトラベルしたかったのは、1963年の炭坑事故以前の、君のママに会うためだったのだと、私は思っています。そして君のママに、「この子をどれだけ愛しているか」の答えを聞きたかったのだと思います。その答えを君に教えることで、君の、ママに対する恨みの気持ちを、変えてもらいたかった。そういう詞なのだと思います。
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