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スピッツ「グラスホッパー」は、ビートルズを目指す曲だった説。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「グラスホッパー」について解釈してみたいと思います。

この曲は、ビートルズをはじめとした、世界中の偉大なロックミュージシャンを意識した曲なんじゃないかなと思います。

まずタイトル「グラスホッパー」ですが、ビートルズと並べてみると、なんとなくスタンスが見えてきそうです。ビートルズは昆虫全体を表すのに対して、グラスホッパーはバッタ、イナゴ、キリギリスなど直翅類の昆虫のことを指します。ビートルズには及ばないけれど、グラスホッパーぐらいのポジションにはなりたい、という気持ちが、透けて見えるようです。「竜馬がゆく」などでお馴染みの歴史作家の司馬遼太郎は、中国の歴史家司馬遷に憧れて、「司馬遷にはるか(遼)におよばない日本の者(太郎)」という名前を付けたそうですが、まるでこれをなぞっているかのようです。

はたして、マサムネさんはどんなロックに憧れて、どんなロックを作ろうとしているのでしょう?

順番に詞を眺めていきましょう。




柔らかな魂で混ぜ合わせた秘密 裏通りを駆ける

ぶつかりすぎて ほら ひからびた唇 引き裂いてくダンボール

「柔らかな魂」ではじまっているこの詞。偉大なロックの先人たちに比べると、まだまだマサムネさんの魂は、「ロック魂」ではないようです。ハードさが足りないと思っています。その、軟弱な魂で混ぜ合わせた秘密の音楽は、「裏通りを駆ける」つまりヒットチャートで上位にいくことができず、下位をウロウロするばかりで、メジャーになることができずにいました。

壁に「ぶつかりすぎて」マサムネさんの唇は「ひからび」ています。そんなに頑張ってロックをやっているつもりなのに、破れるものは「ダンボール」みたいな、裂けやすいものしか裂くことができません。偉大なロックの先人たちのように、世の中とか、社会体制とか、戦争とか、そういうもっとデカいものを打ち破ろうとしているのに…。という、忸怩たる思いが、マサムネさんにはあります。



本当なら死ぬまで恋も知らないで

力を抱えこんで潰れてたかもね

でも、マサムネさんは偉大なロックに出会えたことに感謝しています。こうやって自分でロックを作ることで、自分の中の感情を解放していくことができたのですから。

もしロックに出会えなかったら「死ぬまで恋も知らないで 力を抱えこんで潰れてたかもね」と思っています。

偉大なロックに出会ったことは、芽が出ないマサムネさんを苦しめていますが、同時に生かしてもいるのです。



こっそり二人 裸で跳ねる

明日はきっとアレに届いてる

バッチリ二人 裸で跳ねる

明日はきっとアレに届いてる 輝く虫のように

「輝く虫のように」とは、まさに誰もが認める世界的ロックバンド、ビートルズのことです。そして、「アレに届いている」とは、ビートルズが成し遂げた、前人未到の領域に届いている、という願望を表しているのだと思います。

ここから逆算すると、「こっそり二人 裸で跳ねる」「バッチリ二人 裸で跳ねる」というのは、エロな意味ではなさそうです。この言葉だけが独り歩きして、「グラスホッパーはエロい曲だ」だなんて言われることがありますが、その前後の意味を考えると、どうもいきなりエロが挿入されるのは、どうも不自然です。

たぶんここでの「裸」とは、裸の心という意味でしょう。自分の心の中にあるロック魂を見つめて、それを「跳ねる」つまりビートに乗せて演奏するという意味だと思います。

では、もう一人裸になっている人がいますが、これはいったい何でしょう? たぶんですけど、その時の恋人との普通の何気ない会話だと思います。もちろん、ちゃんと服はバッチリ着ています。

エロ関係を想定していた人にとっては、全然面白くない話になってしまいますが、いくらマサムネさんが天才だからといって、性行為しただけでは、ロックは浮かんでこないと思います。性行為ですごいロックが思い浮かぶんだったら、そんな楽なことはありませんよね。

普通の会話を重ねることで、互いの心の中を探り合うことを経て、宝石のようなロックを引き出すのです。そうやって作り上げたロックで、明日の成功を夢見ているのです。



冷たくしてごめんね 抱き上げて愛撫する 貧乏神照らす

桃の香りがして幸せ過ぎる窓から 投げ捨てたハイヒール

転がる石 蹴とばして 苦笑い

お茶を飲み 悶々となった気持ちは捨てない

「貧乏神」とは、ロックの礎となったヒッピー文化のことじゃないかなと思います。ヒッピー文化が大流行していた時は、ビートルズはもちろん、いろんなロックバンドが、髪の毛ボーボーひげボーボーでした。1970年代までの話なので、マサムネさんが活躍する頃には廃れていたと思いますが、その思想は後の時代になっても消えることがなく、むしろ別の形に姿を変えて、現在においても脈々と引き継がれています。

この、ヒッピー時代の音楽について、マサムネさんは最初は「ふるいなぁ……」と「冷たく」していたのだと思いますが、のちに「抱き上げて愛撫」しています。古いなかにも、見るべきものがある、と思ったのでしょう。それだけ、マサムネさんのロックなセンサーが、研ぎ澄まされてきたというわけです。

「投げ捨てたハイヒール」は、たぶん西洋ばっかりに偏っているロック文化に異議を申し立てている部分なのかなと。ロックだ反骨精神だといいつつ、誰かのモノマネや追従では、ダサいわけです。古いモノに敬意を払いつつも、モノマネではいけません

「転がる石」は、伝説のロックバンド、ローリングストーンズのことでしょう。こんな大物を蹴とばして、直後に苦笑いしています。たぶんこれも若気の至りで、「ローリングストーンズなんて、古い時代の遺物でしょ」と思った過去があったのでしょう。もっと新しいロックをやる自信がマサムネさんにあったのだと思いますが、自分の感性が上がってくると、結局は避けては通れない場所に、彼らは鎮座しているのがわかってきたのです。「あっ、やっぱり、どエライ人たちでした。どうもすんまへん」とヘコヘコ頭を下げて、愛想笑いをしているマサムネさんが想像できます。

一方で、「お茶を飲む」ことについては、悶々としています。お茶を飲むとは、ロックの歴史とは切っても切り離せない、薬物問題のことだと思います。キング・オブ・ロックンロールと言われたエルビス・プレスリーは、薬物中毒によって亡くなったとされています。このため、薬物を肯定するようなロックもありますが、マサムネさんは「これは嫌だな」と思っています。



こっそり二人 裸で跳ねる

明日はきっとアレに届いてる

バッチリ二人 裸で跳ねる

明日はきっとアレに届いてる 疲れも知らずに

バッチリ二人 裸で跳ねる

明日はきっとアレに届いてる 輝く虫のように

これまでの内容を踏まえて、ふたたび二人の裸の時間がはじまります。マサムネさんと彼女は、ローリングストーンズやら、エルビスやらを聴きながら、感想を言い合っているのだと思います。そうやって積み重ねたものを使って、自分の曲に仕上げていくのです。疲れも知らずに。

いつかスピッツが、ビートルズみたいに世界中で聴かれるロックバンドになることを夢見て。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

ちまたではこの曲は、エロ路線で解釈されている方が多いように思います。先ほども触れましたが、「裸で跳ねる」というワードチョイスが、すべての原因だと思います。とくに思春期にこの曲に出会って、そんなふうに言われたら、そう思い込んでしまうのも無理はないでしょう。

ただまあ、それでもやっぱりここは、「裸で跳ねる」というワードでなくては、いけなかったように思います。余計なものは何もかも捨てて、裸で掴みにいくという姿勢を、表現したかったのだと思います。逆に言えば、「裸で跳ねる」以外の言葉では、言い表せない感情が、マサムネさんの中ではあったのだと思います。

どう捉えるかは聞き手の自由であり、「裸で跳ねる」をエロい意味で解釈するのは、それはそれで自由だと思いますが、表面的な裸とかエロとかを越えた先に、もっと深い何かが潜んでいるのだと、このスピッツ好きな八百屋さんとしては訴えていきたいところです。スピッツはすごいんだぞということを、伝えていきたいと思っています。




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