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スピッツ「エスカルゴ」からわかる、草野マサムネの臆病さ



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「エスカルゴ」について解釈していきたいと思います。

この曲は、結論から申しますと、マサムネさんの臆病さを描いたものだと思います。「外は怖いから、カタツムリの殻に閉じこもっておこう」という、曲だと思います。

この時期のスピッツはというと、ロビンソンの大ブレーク以来ずーっと注目の的でした。テレビやCMにひっぱりだこ。その中で交流した関係者も大勢いたでしょう。もちろんファンも大勢いて、ファンから沢山のファンレターが届いていたことでしょう。そのひとりひとりから寄せられる声援の中には、時には無神経な意見だったりもあったでしょうし、時には誹謗中傷まがいのものもあったと思います。ヤバイファンが暴走して「どうして結婚してくれないの?」なんて迫ってきて、怖い思いもしたことだって、何度だってあるでしょう。注目されればされるほど、そういった声も集まりやすくなります。いくら好感度の高いスピッツといえども、避けられなかったと思います。


現代の私たちは、SNSという、世界に発信できる武器を持ちました。同時に、世界の人に自分の言動が晒され続けてる状態になりました。ひとつの言動で、世界中の人々から誹謗中傷が殺到するかもしれないという状況に陥ったのです。これは、常に緊張を強いられますよね。SNS疲れ、なんて言われたりするとおり、疲れちゃいますよね。当時のマサムネさんにかかっていた負担は、今の一般人である私たちの何百倍、何千倍だったでしょう。ただでさけ無遠慮な意見、誹謗中傷、自分勝手な恋の危険に曝され続けているのに、自分の言動ひとつを間違えただけで、自分が頑張って築き上げてきたものが、一瞬で崩壊することだってあり得たのですから。当時もスキャンダルで失脚していく人は多かったですけれども、今でも有名ユーチューバーとかがやらかして、廃れていく場面を私たちはいくつも目撃しています。当時のマサムネさんは、いや、いまでもそうかもしれませんけれど、堕ちていく彼らを横目で見ながら、「明日は我が身だ…」と恐れおののいていたんじゃないでしょうか。


そんな状態ですから、「あ~世間怖いよ~どっかに閉じこもってしまいたいよ~」と思うのも、当然だと思います。私たち一般人は、SNSに疲れたら勝手に辞めればいいだけですけれども、草野マサムネの場合は、疲れたからといってスピッツを勝手に辞めるわけにはいきません。誰も許してくれないでしょう。

そんな、「あ~世間怖いよ~」という想いが込められているのが、この詞なんじゃないかなと思うのです。

それでは、順番に眺めていきましょう。




だめだな ゴミだな さりげない言葉で溶ける心

コワモテ はがれて 仕方ねえと啼いて 耳をすます

孤独な巻き貝の外から

ふざけたギターの音がきこえるよ

「だめだな ゴミだな」というのは、スピッツに対する、世間の一部の声です。マサムネさんは鋭いので、世間の声をちゃんと聴いています。今でいうところの、エゴサして凹む芸能人みたいな感じでしょう。もちろん、スピッツの事を褒めてくれる人の方が圧倒時に多かったと思うんですけど、中にはそういう人もいるんです。グーグルの口コミを眺めると、どんなに評判がいいお店でも100人にひとりの割合で、「だめだな ゴミだな」って言う人が、どうしてもいますよね。お店としては、その1人の悪口がどうしても気になってしまうように、マサムネさんもまた、沢山の声援よりも、ひとりの悪口が気になってしまう性格なのではないのでしょうか。なので彼は「ネットは見ない」と、ことあるごとに表明していますし。

まあとにかく、「だめだな ゴミだな」という「さりげない言葉に」「溶ける心」、つまり心が傷つきました、という出だしから始まっています。

「コワモテ」とは、平気な顔のことだと思います。私たちスピッツファンの前では、常に「みんなありがとう!」みたいな感じで、常に元気に振舞ってくれています。が、時にはやっぱり打ちのめされる時だって、あるのでしょう。そのコワモテが「はがれて」しまう時もあった、と語っています。

よくないのが、「耳をすます」という行為です。心が乱れている時に、自分を傷つけるような意見に耳を傾けてしまうのは、よくないです。

そういう意見には、正論も暴論もあります。聴くべき意見もあるでしょうけれども、聴くべきではない意見もあるのです。それをひとつひとつ受け止めていくのは無理があります。

ましてや、それで自分の心を乱して、アーティストとしてのパフォーマンスを下げてしまうのでは、何をしているのか、訳が分からなくなりますよね。ファンにとっては、めちゃめちゃ損な行動になります。このマサムネさんの落ち込みがなかったら、マサムネさんが伸び伸びと曲作りに取り組むことができて、スピッツの楽曲が、あと10曲、いや20曲は増えていたかもしれません。

でもまあ、それで気を病んでしまうのもまた、マサムネさんなのです。彼が気を病むほどに真面目な性格だったので、私たちは今、質の高いスピッツの楽曲を楽しむことができるのでしょう。

マサムネさんは、誹謗中傷された時、受け流すのではなく、「仕方ねえ」と重く受け止めています。誹謗中傷をしっかり心で受け止めて「啼いて」います。「啼く」は、悲しみのあまりに涙を流して、動物のようにめちゃめちゃ泣くことを指す言葉です。

こんなマサムネさんだからこそ、外からの意見を遮断する、シェルターのようなものが必要だったのでしょう。エスカルゴは、カタツムリのことですが、カタツムリの殻に、膝を抱えて閉じこもっている孤独なマサムネさんの様子が思い浮かびます。



湯けむり 陽だまり 新しい光に姿さらす

おだやかな寒さ ぶつけ合ったコマは いつか止まる

枯葉舞い 恋の雨が降る

よれながら加速していくよ

「湯けむり 陽だまり 新しい光」は、マサムネさんにとって、いい情報のことだと思います。きいてて「あ~気持ちいい~」と思える、ファンの湯けむりのような、陽だまりのような、暖かい声のことだと思うのです。そんな声の時だけ、カタツムリの殻の中から、にゅっと出てきて姿をさらしたい、と思っています。いいことだけ聞いていたい、と、情報の取捨選択をしたいと思っています。

「ぶつけ合ったコマは いつか止まる」は、例えば自分の殻の外で行われている音楽論争のことだと思います。たぶん知り合いの大御所と大御所の間で意見の対立があって、お互いにぶつかり合っているのだと思います。マサムネさんは殻の中に閉じこもって、知らんぷりをしています。「ぼくを、巻き込まないでね」と、やり過ごそうとしています。「おだやかな寒さ」つまり、自分の身の周りがこういうお寒い状況になったりしているので、殻にこもる一方で、「枯葉が舞い」「恋の雨が降る」という面白いイベントには、しっかり姿を現していきます、という方法で、「よれながら加速していく」という生き方をしよう、と誓ったのだと思います。



ハニー 君に届きたい もう少しで道からそれてく

何も迷わない 追いかける ざらざらの世界へ

「君」は、スピッツの音楽を楽しんでくれているファンのことだと思います。「君に届きたい」つまり、ファンの琴線に触れるような音楽を作りたいと思っています。一方で、「道からそれてく」と言っています。これは、自分の行きたいところに行きたい、つまり、やりたい音楽をやりたい、という願いだと思います。「ファンの望んでいる音楽を作りたい」という想いと、「自分のやりたい音楽をやりたい」という想い。これが、エスカルゴの小さな殻の中に閉じこもっているマサムネさんの中に、同居しているというわけです。

この二つの属性のものを同時に行うことは、とても難しいことです。でもマサムネさんは、他のことはどんなに逃げても、この二つだけは、「何も迷わない 追いかける」と、絶対に叶えるつもりでいます。

「ざらざらの世界」とは、現実の世界のことだと思います。現実のざらざらした世界が嫌だからといって、引退してしまうわけにはいきません。なので、エスカルゴの殻を抱えて、いつでも逃げ込める場所を用意して、おっかなびっくりしながら、ざらざらの世界に挑んでいくのです。



つまらない 下らない 目覚めた頭が 否と叫ぶ

はじけて 飛び出て ここだけはハッピーデイ ドクロのタトゥー

カヌー漕ぐ 疲れてもやめずに

あの島が近づいてくるまで

「つまらない 下らない」は、自分に向けられた悪口が、自分の頭の中で反芻している様子を表しているようです。眠れない夜に、よくあるやつですね。マサムネさんもまた、「スピッツの音楽って、つまらないし、くだらないよな」とどっかで言われた悪口を、眠れない夜にひとり思い出しては、くよくよしていたのだと思います。でも「否!」と、叫んでいます。くよくよしちゃダメだ、と自分に言い聞かせています。

「ドクロのタトゥー」が、よくわからない部分です。たぶん心身疲れたマサムネさんが、癒しの為に逃げ込んだ場所、人、モノのどれかだったのだろうとは思いますが、該当するものが思い浮かびません。気分転換に、ひとりで海賊漫画のワンピースを全巻買って読み漁っていたか、ドクロマークの調味料であるデスソースを料理にぶっかけて、ヒーヒー言いながら食べていたか、あるいは本当にドクロのタトゥーが入っている女性のもとに通っていたか……。

でも正直、あんまり女性関係のことをこの詞の中に入れてくるとは、考えにくいんですよね。このあたり、うまく言い表すことはできないんですけど、この詞はカタツムリの殻を背負ったマサムネさんのことを表現しているという、わりとコミカルな感じがする詞なので、いきなり生々しい表現をぶっこんでくるのは、似合わないというか……。それよりも、サドンデスソースっていう、辛さがとんでもないソースがあるんですけど、それを食べてヒーヒーいって、ストレス解消してハッピーになっているマサムネさんを眺めているほうが、合っている気がします。ましてや、喉が大事なボーカルなので、激辛料理なんてとんでもない、と禁止されていることでしょう。それを内緒で、ドバドバかけて食べることができたとしたら、めちゃめちゃハッピーデイだったことでしょう。

そんなこんなで、自分に対する悪口を、どうにかこうにか乗り越えつつ、「カヌー漕ぐ 疲れてもやめずに あの島が近づいてくるまで」つまり、スピッツの活躍が世間で認められて、ヒットチャート上位にランクインを果たすまで頑張る、という日々を、マサムネさんは送っているのでした。



ハニー 君をジャマしたい ごめんなさい 遅かれ早かれ

すべて解るはず 正直な ざらざらの世界へ

「ハニー 君をジャマしたい ごめんなさい」の部分。この詞において、もっとも言いたかったのは、この部分なんじゃないかなと。

スピッツ、そしてそのボーカルの草野マサムネは、ロビンソン、空も飛べるはず、チェリーなどのさわやか路線の楽曲の大ブレークにより、めちゃめちゃさわやかな青年バントとして認知されています。そういう世論になっています。

そんな世論の中、発表した楽曲が、たとえばこのエスカルゴみたいな、臆病な心を表現した曲だったとしたら、世の人はスピッツに対して、どう思うでしょう? 「キラキラしたスピッツだと信じてたのに! 裏切られた!」と怒り出す人もいるでしょう。なので、先に謝っています。ごめんなさい、と。

でも「遅かれ早かれ すべて解るはず」とも言っています。スピッツが、心の弱いバンドであることを、もう隠そうとしていないからです。それは前のサビで述べたとおり、「ファンの望んでいる音楽を作りたい」という想いと、「自分のやりたい音楽をやりたい」という想いがあるからです。他のことにはわき目もふらず、死にものぐるいでぶつかっていくのです。スピッツの正直な思いをつづった曲を、これからも作り続けていくつもりでいます。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

エスカルゴが載っているアルバム「三日月ロック」が発売されてから20年あまり。「遅かれ早かれ すべて解るはず」と、この詞に書き記して20年が経過しましたが、いかがでしょう? スピッツはさわやかバンドではなく、もっと幅広いものが表現できる技巧派のバンドであり、また心の繊細なバンドであると、世間は認知できているのでしょうか? そして、草野マサムネは今現在、世間について、どう捉えているのでしょうか?

それは、私たちには把握することができませんが、想いを巡らすことはできるかもしれません。

私たちは、もっと深く深く、スピッツに触れていく余地があると思います。深く潜れば潜るほど、マサムネさんの残した宝物にありつくことができるのです。深く潜ったものだけが、それを手にすることができるのです。そう思います。





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