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スピッツ「けもの道」は、頑張っている人を応援する曲だった説。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「けもの道」について解釈してみようと思います。

まあ、「この曲は、頑張っている人を応援する曲です」って、ドヤ顔でいっても、えーっ!って驚いてくれるひと、そんなにいないと思います。詞を眺めても曲を聴いても、応援歌だな、と思えるような内容です。最後に「フレ フレ フレ」って言ってますし。

でも、それ以上解釈の余地がないかといえば、そんなことはありません。もっともっと深いところに、潜ることができるのです。それがスピッツの詞のすごいところですよね。

今回は、応援歌だということを前提にしつつ、もうちょい詞の意味を深堀してみようという企画になります。

ぜひ、お付き合いいただきたく存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

順番に詞を眺めてみましょう。




東京の日の出 すごいキレイだなあ

きのうの濁りもどこへやら

さえない話に 感動しまくり

なんで? 飛びそうだ

詞の一番最初に出てくる「東京」ですが、これにはどんな意味があるのでしょう? という部分から解釈していきたいと思います。

マサムネさんの詞は、最初に出してくるワードがめちゃめちゃ大事で、今後の展開について「こう読み取ってくださいね」というヒントを出してくれていたりするので、今回もまたそうなんじゃないかなと。つまり、「東京」の状態がどうなっているかが、今後の展開を左右する、ということなのです。

さて、分かっている情報としては、今の東京の姿に感動している点と、きのうは濁っていたという点です。濁っているというのは、そうですね。挫折と苦悩にまみれていた、ということです。

同じく、「東京」という地名がでてくることで有名な曲といえば、長渕剛さんの「とんぼ」です。知っている人も多いと思うんですけど、ちょっと引用してみましょう。



明日からまた冬の風が横っつらを吹き抜けていく

それでもおめおめと生きぬく俺を恥じらう

裸足のまんまじゃ寒くて凍りつくような夜を数え

だけど俺はこの街を愛し そしてこの街を憎んだ


死にたいくらいに憧れた東京のバカヤローが

知らん顔して黙ったまま突っ立ってる

ケツの座りの悪い都会で憤りの酒をたらせば

半端な俺の骨身にしみる



そうなんですよね。東京って、バカヤローなんですよね。

華やかな世界を生きるごくわずかな人間と、それを支えるのにクソみたいな仕事をやらされる大勢の人間。金が全てで、金を手にするために、他人を騙し、踏みつける。下にいる人間をバカにしては、自分のほうがマシだと自分をなだめて生きている人と、自分よりマシな人間を妬み、恨み、憎悪する人。誰の胸の中にも不満や憎悪は渦巻いているけれども、それでも今日を生きなきゃいけないから、寒くないふりをして、何にも知らないふりをして、おめおめと生きている。そういうバカヤローたちの集合体によって形成、運営されている巨大な街が、大都会東京なんですよね。


どうですか。東京の濁り具合に、へこたれそうになりましたか?

そうです。「けもの道」は、東京の濁り具合に絶望し、苦悩している人に対してのメッセージなのです。ただ、元気になれる曲っていう捉え方でもいいんでしょうけれども、この谷底の深さのえげつなさを踏まえておくと、その後の上昇具合がとんでもないことになると思うのです。普通の状態から上がるのと、どん底の状態から上がるのとでは、上り幅が全然違いますからね。テンションの爆発力が違います。


でも、この濁った東京は、今は、日の出の光であふれています。東京の濁りも比喩なら、日の出もまた比喩です。昨日までは長渕剛の「とんぼ」モードだったけれど、今日は希望であふれているということです。

希望がいきなり絶望になることって、よくあります。でもその逆の、絶望からいきなり希望に転じることって、めちゃくちゃ難しいんですよね。この詞が収録されているアルバム「三日月ロック」は、アメリカの同時多発テロの影響を受けたことが示唆されていますが、テロ事件の絶望なんて、希望に変わる要素なんてないと思います。この事件の後も、世界各国でテロや戦争が繰り広げられていますし、日本各地でも地震災害が多発しました。その中で、大勢の人々の尊き命が失われていったのです。

だからこそ、と私は思います。この絶望を乗り切るには、やっぱり希望が必要なんだと。夜明けの時の日の出のような、強い希望が必要だと。どん底に落ち込んでいる私たちを救ってくれるのは、それと同等の、強い希望のエネルギーが必要なんです。

マサムネさんは、「とんぼ」モードに入ってしまっている東京の人に向かって言い放ちます。「東京の日の出 すごいキレイだなあ」と。日の出のきれいさに気づいてもらえるよう、声をあげているのです。

「さえない話に 感動しまくり」もまた、闇が光に変わっていく場面なのかなと。「俺たちは牢屋かウサギ小屋みたいな家に住んで、満員電車で通勤し、地獄のような仕事量をこなし、パワハラセクハラに耐え、雀の涙みたいな給料にしがみつき、夜遅くまでサービス残業し、合間にコンビニやスーパーの半額弁当を食べる生活を送っているんだ」と、やさぐれる東京住まいの人の、さえない話に対して、「でもアナタの働きのおかげで、社会が成り立っているんですよ。それに支えられている人だっているんですよ。アナタの働きに、わたくし、草野マサムネは感動しまくりです!」と言いたいんじゃないかなと。ウーム、この言い方では、支払っている労働にたいして、報酬が少ない感じがしちゃいますね……なにか、もうちょっと感動が伝わる、うまい言い方があるように思いますが、いかがでしょう? でも、見える世界が変われば、気分も変わるのだけは確かです。スピッツファンだったら、マサムネさんに自分の仕事を褒められたら、「ウオーッ!」ってやる気がドッバドッバ出ると思います。

「なんで? 飛びそうだ」は、テンションが上がってる様子です。そのままですね。絶望の状態からの、希望へと駆け上る勢いが、飛びそうなくらいになっているということなんだと思います。



あきらめないで それは未来へ

かすかに残るけもの道

すべての意味を 作り始める

あまりに青い空の下

もう二度と君を離さない

「けもの道」とは、文字通り、けものの通り道となっている道のことを指します。けもの一匹がかろうじて通れるような道で、人間が歩くことは難しいのです。急な崖だったり、川だったり、岩場だったりと、そういうところを縫うように道が続いているからです。

人間社会も、実は同じです。人間用に舗装された、歩きやすい道路をスムーズに歩む人生を、誰もが歩めるわけではなないのです。いい学校に入り、いい会社に入り、いいところの家の娘と幸せな結婚をし、男の子ひとり、女の子ひとりをもうけ、戸建ての家を建て、ローンの繰り上げ返済のために一生懸命働き、老後は退職金と年金で第二の人生を謳歌する。そんな道を、全員が歩けるわけではないのです。人間用に舗装された道から外れたら、動物が通るような、けもの道を行くしかないのです。

でも、けもの道でも、道は道です。そして、ひとが通れば、それは立派な道になるのです。そう、魯迅先生も国語の教科書で言ってました。「すべての意味を 作り始める」も、この部分に当てはめることができそうです。人間としての道を歩むことができないなら、自分だけの未来を切り開いていけばいいのです。現状に絶望は誰でもできます。「俺には、けもの道しかないのかよ~」と嘆くことなら、いくらでもできます。でも、けもの道しか行けないなら、そこを行って、道にするしかないのです。

なお、けもの道には、いい面もあります。「あまりに青い空の下」な点です。

舗装された道は、景色が変わらないビル街になっています。どこまでも同じ景色が続く、安定しているけど退屈な道で、右をみても左をみても、似たような顔が並んでおり、自分と似たような人生を歩んでいます。自分の左右だけを眺めて、「ああ自分は、間違っていない。みんなと一緒だから」と安心した生活をおくることができます。

でも、けもの道には、舗装された道にあるようなものは、一切ありません。誰かと一緒な安心感もないし、進むべき道もわからないけれど、だからこそ自由に、いろんな場所に行けます。何もしがらみがないからこそ、いろんなことにチャレンジできるのです。舗装された道を行く人は、道を外れるのを怖がって、どこにも行くことができません。いい会社に就職をした人は、独立する決断がなかなかできないのです。独立することができるのは、足元は荒野だけれど、目の前には青い自由な空が広がっているような人です。

マサムネさんは、そんな、けもの道を行く人を応援しています。「もう二度と君を離さない」と。たぶん、けもの道を行く人に対する応援歌を、これからも作っていきたい。アナタの人生の供になるような曲を作り続けたい、という気持ちが込められているのだと思います。



細胞 全部に与えられた

鬼の力を集めよう

可愛いつもりの みにくいかたまり

まだ これから

舗装された道を歩める人というのは、いろいろな面で恵まれているのだと思います。親がお金持ちとか、勉強がよくできるとか、容姿端麗だったりとか。どれか一つが秀でているのではなく、どれも持ち合わせていることが多いのです。まさに、細胞レベルで違っているのです。

一方で、けもの道を行くのは、とても大変です。舗装された道よりも多く体力を消費します。細胞レベルで劣っているのに、より厳しい道を歩かされる理不尽。この道を行くには、理不尽を超えていかなくてはなりません。なので「鬼の力」のような、暴力を想像させるぐらいの、めちゃめちゃ強靭な力が必要なんですよね。

「可愛いつもりの みにくいかたまり」も同じです。美貌の持ち主なんて、ごくわずかです。みんなはそれでも頑張って、容姿端麗になろうとあれこれ努力しているのです。こんな頑張って可愛くなろうとする人を、悲しいかな、貶す人がいます。そこで落ち込んで、可愛くなることを辞めてしまいたくもなります。でもそれをマサムネさんは「まだ、これからじゃないか」と背中を押してくれています。マサムネさんに背中をぐいぐい押されたら、足を前に進めるしかなくなります。

とにかく、うじうじ悩んで、立ち止まってはいけません。とりあえず前に進むと腹を決めて、ズンズン前に進んでいくことが大事なのです。



怖がらないで 闇の向こうへ

手を伸ばす前のまわり道

すべての意味を 作り始める

あまりに青い空の下

もう二度と君を離さない

けもの道を行く人は、行先が保証されていない、いわば「闇の向こう」に突き進まなければいけません。なにが起こるかわからない場所に、あたって砕けろ方式で突っ込んでいくのって、めっちゃ怖いですよね。そんな先の見えない闇の向こうにいくにはどうすればいいかというと、マサムネさんは「まわり道」をおすすめしています。闇の向こう側がどうなっているのかがわからないなら、まわり道をして、向こう側に何があるのかを少しでも観察しよう、とすすめています。

例えば、今の仕事にぶつくさ文句を言いながら「転職したいな~」なんて言っている人がいたとします。ハタからみてると「じゃあさっさと転職しろよ」だなんて切り捨てたくもなるでしょう。「文句いうなら辞めろ、やるなら文句いうな」の2択を迫ると思います。でもこの人は、今おかれている環境の劣悪さに耐えながら、少しでも知識や経験を身につけることで、闇になって見えない部分を覗こうとしているという人だったとしたらどうでしょう? 自分の理想に少しでも近づきたいけれど、理想だけではダメなので、独立してもやっていけるだけの経験を積むために、あえて今の会社にしがみついているという「まわり道」をしているのだったとしたら、どうでしょう? ハタからみると、彼は現時点では「不平不満を言いながら会社にしがみつく、臆病で卑怯な人」ですが、転職して成功した未来がその先に待っているのだとしたら、彼の臆病で卑怯な現在の行動すら「栄光の未来に続くサクセスロード」の一環になるのです。

長渕剛の「とんぼ」における、「裸足のまんまじゃ寒くて凍りつくような夜を数え だけど俺はこの街を愛し そしてこの街を憎んだ」の一節のような人生を送っている人だって、それが「まわり道」をゆく途中なのだとしたら、これは「絶望」ではなく「希望への途中」なのです。希望へ向かって進むことを辞めた時点で「絶望」になりますが、歩みを辞めなければ、「希望」の未来にいくための「まわり道」なのです。



フレ フレ フレ

フレ フレ フレ

「けもの道」をゆく人。「まわり道」をゆく人。そんな、前に希望があってもなくても、現状を必死に頑張っている人への応援歌なのだと、私は思います。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

私の人生もまた、「けもの道」と「まわり道」の連続だったように思います。私は今、ちいさな八百屋さんをやっていますが、はじめから八百屋さんをやろうと志していたわけではありません。大学を卒業後、地元スーパーに就職しましたが、そこで青果小売業の課題に直面しました。越えられない壁にぶつかってしまったのです。どんな壁だったかは詳しくはここでは語りませんが、ほとんどの人はその壁を前に、それ以上進むことを辞めてしまうのです。なぜなら、それが賢い生き方だからです。その壁を超えていくことが正しいことだと、みんな頭ではわかっているけれど、みんなやらないのです。だって壁を超えるには労力がかかりますし。その労力と、口を噤んで目を閉じて、会社の命令に唯々諾々と従うことを天秤にかけて、壁を超えないことをみんな選ぶのです。

私はひとり、壁を超えて、今に至っています。いや、独立はしましたが、まだまだ成功とまでは言える状態ではありません。いわば、まだまだ「けもの道」の途中を、私は歩いています。闇の向こうに手を伸ばし続けている状態が、まだまだ続いています。頑張るしかないのです。

という感じで、私は独立した人なので、私はこの詞を「独立を促している詞」だと認識していました。けど、なにも「けもの道」の先に待っているのは、独立だけじゃないんですよね。成功でもありません。希望を持つようにはいっていると思いますが、その先に成功が約束されているだなんてことは、ひとことも言っていません。ただ、自分の道を歩む。その道をゆく。その歩みに対しての、応援なのだと思います。




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