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スピッツ「おっぱい」は、絶望を救ってくれる話だった説。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「おっぱい」について解釈していきたいと思います。

八百屋テクテクのスピッツ記事まとめ、のほうからいらした方は驚いたかもしれませんが、これはエロ注意の喚起がなされていない記事になっています。そうです。この記事はエロくない記事になっています。期待した方はごめんなさい。でも八百屋さんのブログにエロを期待するほうが間違っているのです。そういうものです。逆に、エロが嫌いで、ここはエロいんじゃないかと、おっかなびっくり来た方には、大丈夫ですと申し上げておきたいと思います。どうぞご安心くださいませ。めっちゃ真面目な記事となっております。


この曲は、乳房を表す俗語をタイトルにしていることから、「変態ソングだ!!」なんて言われることがあります。が、この八百屋さん的には、まったく性的な曲であるとは解釈しておりません。いたって真面目な曲だと思っています。「変態ソングだ!!」と騒ぎたてるのは、理科の授業で便通の話になった時に「うわー!ウンコだー!」と騒ぎ立てるのと同じです。まったく本質を理解していない話だと思います。

……とまあ、真面目すぎて周囲から孤立してしまう学級委員長みたいなことを言っちゃいましたけど、でもタイトルにあえておっぱいを配置したことや、サビで大声でおっぱいを連呼するようにしたことを踏まえると、やはりマサムネさんは、真面目さを装った変態ムーヴをしたかったのかもしれません。私は八百屋のおっさんなので、もはやどう見られようが全然構わないんですけど、これを年頃の若い女の子が私の解釈を真に受けて「おっぱいは真面目な曲なんです!」などと堂々と主張したとしたら、周囲からへんな目で見られるに違いありません。この曲を作ったマサムネさん本人だって、へんな目で見てくることでしょう。

このような二面性がある詞であり、いったいどっちに軸足があるのかは、作詞したマサムネさんにしかわからない部分ではあります。でも詞だけを眺めてみると、本当に心がギュッとなることが描かれているので、今回は、その部分についてやっていこうかなと思います。この解釈を知れば、この詞をぐっと好きになれるはずです。なんなら、たとえエロいことがあまり好きではない人だとしても、ひとりで「君のおっぱいは世界一~」と歌いだしたくもなっちゃうはずです。そういう魅力がある曲なのです。

さっそく、詞の中身を順番に眺めていきましょう。




やっとひとつわかりあえた

そんな気がしていた

急ぎ過ぎても仕方ないし

ずっと続けたいな

詞の最初のこの部分です。詞の方向性がわかる、もっとも重要な部分ですが、ここではエロい話をしていないんですよね。エロくない話に見せかけたエロい話なんじゃないかと勘繰ってしまうかもしれませんが、ここは完全に、エロくない話になっています。むしろ、わざとエロ方面にならないよう、言葉を選んでいるような感じもします。

ここは、仕事の話をしています。仕事で上司もしくはお取引先様に「うむ。今回の君の仕事ぶりは、まあまあだ。この調子で頑張ってくれたまえ」と、合格を貰えたところだと思います。つらい仕事で、いつも怒られては、泣きながら仕事をしていたけれど、やっとひとつ認められた気がした、という部分なのだと思います。

今まで仕事が辛すぎて、「もうやめようかな、どうしようかな……」って悩んでいたんですけど、やっとひとつ認められたことで「急ぎ過ぎても仕方ないし、ずっと続けたいな」と、ちょっと晴ればれしている気持ちに浸っているところだと思います。



痛みのない時間が来て

涙をなめあった

僕は君の身体じゅうに

泥をぬりたくった

泥をぬりたくった

ここは、仕事でやっとひとつ認められる前の、仕事で怒られまくっていた時の話になります。朝から晩まで、上司の長い説教にひたすら頭を下げ続ける仕事をし、うちに帰ったら眠るだけ。そして重たい気持ちを引きずって出勤して、また朝から怒られ続けて、の繰り返しの日々。そんな日々の中で、うちに帰ってから寝るまでの短い時間だけが、「痛みのない時間」だったわけです。

そこで僕と彼女は何をしているかというと、性行為ではなく「涙をなめあった」のです。彼女もまた、仕事ぶりを認められず、人間扱いされない職場で疲れはてて、身も心もボロボロになっている状態なのです。僕も彼女も同じ状況だからこそ、痛みのない時間を共有できるのです。お互い、痛みのない時間を共有できる相手として、必要な存在なのです。

「僕は君の身体じゅうに泥をぬりたくった」は、僕が激しく泣いている様子を表しています。涙、鼻水、よだれ。身体じゅうから、体液がとめどなく出てくるのです。彼女の前で、自分が情けなくてみじめで、泣いているのです。



君のおっぱいは世界一

君のおっぱいは世界一

もうこれ以上の

生きることの喜びなんか要らない

あしたもここで君と会えたらいいな

僕がこうして、ただただ情けなく泣いているのを、彼女は受け止めてくれています。弱くてみじめで、クズみたいな男のことを、彼女は自分の胸が鼻水で汚れるのも構わず、抱きしめてくれているのです。僕にとっては、自分を柔らかく抱きしめてくれる彼女のおっぱいがなければ、今ごろ精神が壊れていたことでしょう。ぎりぎりの状態で踏ん張ることができたのは、この時間に彼女が、僕の苦しみを救ってくれていたからです。

世界には、女性の数だけおっぱいがあります。彼女のものよりも形が綺麗で、大きなものだって、そりゃああるでしょう。でも、いくら形がきれいでも、大きくても、この瞬間に、彼の悲しみを受け止めて、彼の心を癒やすことは、ほかのおっぱいにはできないのです。彼のそばにいて、彼の悲しみを理解できて、受け止めることができる彼女のおっぱいだけが、彼を癒やせるのです。なので、彼にとっては、彼女のおっぱいは、世界一ということになるわけです。

あるいは、「僕の世界の中で、君のおっぱいは世界一」と言いたいのかもしれません。この彼がマサムネさん自身のことだとしたら、そりゃあすごいものです。マサムネさんの心の中には、大きな世界が広がっていて、その世界で作られた何十、何百という曲が私たちの心を楽しませてくれていますが、その広い世界の中で一番は、君のおっぱい、ということだとしたら、その重みはすごいことになります。

「もうこれ以上の 生きることの喜びなんか要らない」というのもまた、上記の背景があったとしたら、十分理解できます。こんな彼女がいたら、逆に、それ以上の何を望みますか? 大金を得るかわりに彼女と別れなければならない、という状況になったとしても、大金を選ぶことはできないでしょう。心の底で繋がっている彼女と生きることが、最大の喜びだと悟っているからです。



甘い匂いでフワフワで

かすかに光っていた

誰の言葉も聞こえなくて

ひとり悩んでいた

ひとり悩んでいた

「甘い匂いでフワフワで かすかに光っていた」は、彼女の裸のおっぱいを見た場面だと思います。この詞における唯一の、性的表現だと思います。逆に言えば、ここ以外の性的表現はありません。

長い映画とかで、ちょっとだけ女性が脱ぐシーンが出てくる的な、そんな感じがします。女性が脱いだ直後、これからという時に、まったく違うシーンに行っちゃうことがあります。このあとどうなったかは、みなさんのご想像におまかせします的な。

この「おっぱい」の詞もまた、そうです。上記までの解釈の内容を踏まえると、性行為があったかどうかは、主題の外なのだと思います。それよりも、彼女の裸のおっぱいを彼が見て、彼女が彼に自分のおっぱいを見せた、という関係値こそが、ここでは大事なのです。

その次の「誰の言葉も聞こえなくて ひとり悩んでいた」は、もう仕事の話になっています。彼は仕事で悩んでいることを、彼女以外にも打ち明けたことがあったのでしょう。でも、彼が欲しい回答をくれる人は、いませんでした。「そんなの、誰にでもあることだよ。お前だけじゃないし。そんなことで悩むなんて、まだまだ経験が浅いよな」とか「酒飲んで風俗にでもいけば? 嫌な事忘れられるぞ」とか「そんなにイヤなら仕事辞めたら?」とか。相手は、好意で相談に乗っているのかもしれませんけれども、僕からしてみたら、欲しい回答ではありませんでした。僕はひとり悩みます。「僕が求めている回答って、無いんじゃないか……」と。

でも、彼女の裸のおっぱいを見たことで、彼女が僕におっぱいを見せてくれたことで、この悩みは解消しました。というより、僕は無理やり解消することにしたのです。このあたりは、リクツで説明するのは難しい、心の動きです。

口先だけの、わかったふうな言葉では、ひとは感動しないのです。また、ただ誰かの裸を見れば解決するとか、そういうもんでもないです。

自分と痛みを共有する人が、絶望の中、胸を開いて、おっぱいを見せてくれる。そんな優しい行為に、生きる喜びを、頭ではなく心で感じるということもあるのです。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

純粋に詞の内容だけを眺めてみると、こんな感じになりました。たぶん詞の内容を考えている時は、マサムネさんはちゃんと真面目に、こういうことを訴えたくて、詞を書いたのだと思います。

ただ、曲には、パンチ力が必要です。誰からも気づいてもらえない美しい詞よりも、誰もが振り向くようなパンチ力のある詞のほうを、当時のスピッツは求めていました。なので、こういうタイトルになったのだと思いますし、サビでおっぱい連呼という仕様にしたのだと思います。

そういう事情がある曲なので、スピッツが有名になった今となっては、役割を終えた曲だと言えるでしょう。一定の人気はありつつも、ライブでは取り上げられることは、もはやありません。

とはいえ、詞で表現されていること自体は、とても人間的な魅力にあふれた、すごい詞だと思っています。この八百屋さん的には、ただのエロい曲としてではなく、本当に人間の脆さ、強さを表現した曲として、みんなに解釈される日が来ることを願っています。




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