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エロ解釈が苦手な方のための、エロくないスピッツ「ラズベリー」解釈~スピッツ歌詞解釈~

更新日:2023年7月22日



スピッツ「ラズベリー」は、初期のアルバム「Crispy!」に収録されている曲の一つです。


この「ラズベリー」の特徴は、なんといっても、セックスソングであることです。

その歌詞にはエロを連想させるワードがふんだんに盛り込まれていて、想像力をかきたたせます。

スピッツファンの間では、さも当然のようにエロい歌だと評されているこの曲。ラズベリーの曲を知るもの同士でエロいことをする際「僕とラズベリーしないかい?」と誘うのが、基本的な流れとして使用されているほどらしいですね。知らんけど。

でも、音楽に興味を持ち始めた中学生あたりの若い諸君には、どのように解説していいか迷う方も多いと思います。当時ファンだった方も、もういい年齢に差し掛かっている頃でしょう。お子さんがおられる方もいらっしゃるでしょう。自分の子供も、もちろんスピッツを聴いている。でもこの曲の意味を面と向かって問われた時、どう説明いたしますか?

私も中学、高校時代には、この曲に困らされたものです。私は当時エロい話が苦手だったんですけど、スピッツは大好きだと公言しておりました。それを「スピッツって、性愛と死の曲ばっかり作ってるんだろ?」と知ったかぶりをするニワカ仕込みの奴にからかわれて、悔しい想いをしたクチです。「エロい歌を好きなお前は、本当はエロいんだろ?」みたいな。

オマエに何がわかるんだ、と言いたかったですが、当時はうまい切り返しが思い浮かばなくて、少年テクテク氏は地団駄を踏んだわけなのです。

そんな、エロが苦手だけど、スピッツは愛したい! という青春のジレンマを抱えるアナタのために、この農産物専門家になった八百屋さんが、大人になってもいまだにエロが若干苦手なテクテク氏が、エロくないラズベリーの解釈をご用意いたしました。

参考にしていただけますと、幸いです。



泥まみれの汗まみれの 短いスカートが 未開の地平まで僕を戻す?

これはいったい、どういう意味なのでしょう? 普通に生活していれば、スカートが泥まみれになることも、汗まみれになることも、あんまりないですよね。

これは八百屋さん的に解釈すると、スカートというのはラズベリーのことだと思います。上のラズベリーの画像を見てもらえばわかりますとおり、スカートみたいな形状をしていますよね。そして室外で栽培しているなら、たいてい泥まみれになりますし、汗まみれになります。あっ、汗というのは、朝露や気温差により、果実に水滴がついているという意味です。農家さんなどは、この状態の果実を、普通に「汗まみれ」と表現します。

また未開の地平というのは、「ラズベリーは野生種に近い」という意味だと思います。昨今の農産物というのは、甘みや香りを増すために品種改良を重ねていまして、いわば人工的に作られたものです。たいしてラズベリーというのは、本来の野生的な酸味が好まれているため、ほとんど品種改良が進んでいません。まだ未開だったころの地球に存在していた、野生種に近いのが、ラズベリーという果実なのです。それを口にすることで、僕は野生に戻るかも? という意味なのだと思います。



あきらめてた歓びがもう目の前 急いでよ 駆けだしたピンクは 魔女の印?

水のようにまわり続けて 光に導かれていくよ

実はラズベリーというのは、ほぼ世界中で栽培されているのですが、日本ではそれほど栽培が盛んではありません。なぜか。日本は多湿で、ラズベリーにカビが生えやすいからなんです。

なので上手に栽培できて、カビもはえず、収穫目前となったら、「あきらめてた歓びがもう目の前」ということになりませんか。

また、ラズベリーは、ピンクが駆け出せば、つまり、ピンクの状態までに色づくと、そのまま追熟が加速して一気に黒ずんでしまいます。黒ずんだラズベリーは、ヘタの部分と合わせると、ちょうど魔女の印、つまり、魔女の特徴ともいえる魔女の帽子のような形状になります。こうなったら果肉がドロドロになってしまい、摘果が難しくなります。こうなる前に収穫しなければいけませんので、「急いでよ」と言っているわけなんですね。

水のようにまわり続けて、光に導かれていくよ、の部分は、完全に植物の光合成のことを表していますね。「ラズベリーはセックスの曲だ」という思考で固まってしまっては、解読できない部分なので、ラズベリーはエロい曲じゃないと主張したい方は、この部分を突っついてやるといいでしょう。



チュチュ 君の愛を 僕は追いかけるんだ どんなに傷ついてもいいから

もっと切り刻んで もっと弄んで この世の果ての花火

スピッツの「ラズベリー」は、本当にラズベリーのことを歌った曲なのだ、という定義があれば、この部分は簡単に解釈できます。

まずチュチュというのは、すっぱいラズベリーを口にするときの表現でしょう。あんなに酸味が強いものを、一度にバクバク食べることができません。吸うように食べるのが普通でしょう。

君の愛を僕は追いかけるんだ、の部分は、ラズベリーの木からもたらされた果実の恵みを、愛と表現しているわけですね。日本で栽培するには、努力しなければ、つまり追いかけなければ、ラズベリーは応えてくれません。だから君(ラズベリー)の愛を追いかけるんですね。ここはラズベリー農家さんの、ラズベリー愛を感じる、とても美しい部分です。

また、ラズベリーはバラ科の植物なので、があります。世話をしていると、当然怪我もつきものでしょう。どんなに傷ついてもいいから、というのは、やはりラズベリー樹木に対する愛情を感じますね。

またラズベリーは、ラズベリーパイやラズベリージャムなど、加工に向く果実です。切り刻んだり、弄んだりすることで、美味しく食べることができるのです。

この世の果てとは、日本のことです。主にヨーロッパで親しまれているラズベリーにとって、極東にあたる日本は、この世の果てといってもいいでしょう。花火、というのは、6月から9月の夏祭りシーズンにあがりますが、これがちょうどラズベリーの旬と重なります。ヨーロッパから来たラズベリーにとって日本で花火を見るというのは、美しい光景に映ったに違いありません。日本の、多湿のため生育に厳しい環境だけど、美しい花火を眺めることができたのは、ラズベリーにとって幸運であったんじゃないかなと、農家さんの目には映るでしょう。



おかしいよと言われてもいい ただ君のヌードを ちゃんと見るまでは僕は死ねない

これは、人間の裸のことではありません。君とはもちろん、ラズベリーのことです。

1番の歌詞というのは、苗の育成から収穫までの様子を表現していましたが、農家さんは収穫して作業が終わるわけではありません。大事なラズベリーを無事出荷して、お客様のもとに届けるまでがお仕事なのです。というわけで、2番では、出荷の様子が描かれています。

ではなぜ、ラズベリーのヌードを見ることに、そんなに必死なのでしょう? 

実はラズベリーというのは非常に傷みやすい果実なのです。ラズベリーをパッケージして出荷しても、到着する頃にはカビが生えていたり、潰れていたりします。表面は無事のようでも、裏返すとズルズルになっていたり……。

なので、輸送されて目的地に到着した後、ラズベリーがどういう状態になっているかを確認することが、とても大事なのです。もし傷んでいたとしたら、配送がよくないのか、追熟させすぎなのか、品種が悪いのか、パッケージに無理があるのか、いろいろ検討する必要があるのです。そういう条件をクリアして、ちゃんと綺麗なヌードをみることができるまでは、油断ができない。この歌詞の僕は、そういうふうに言っているのです。



しょいこんでる間違いなら うすうす気づいている でこぼこのゲームが今はじまる

穴を抜けてこっちへおいでと五円玉の向こうから呼ぶよ

しょいこんでる間違いというのは、前項で述べた、ラズベリー出荷に関する課題のことです。でこぼこのゲームというのは、配送中デコボコした道を通る際に、はたしてラズベリーが無事なのかどうかという試行をしていることを、ゲームと表現したのでしょう。ゲームといえども、ラズベリー農家としての生き残りをかけた、成功させなければいけないゲームです。

最後の、5円玉とはいったいなんなのでしょう? これはたぶん、本当に五円玉のことです。お金のことです。ラズベリーの販売が軌道に乗れば、お金を手に入れることができる、ということなのだと思います。

あるいは消費税のことかもしれません。この曲が発売された当時の消費税は3%でしたが、数年後5%に引き上げられています。100円のものを買えば、105円支払わなくてはいけなくなりました。当時は消費税の議論がとても活発で、喧々諤々の議論がどこでも展開されていました。そんな消費税の議論に、農家さんや物流で働く人の立場から、一石を投じる。ラズベリーとは、そんな社会的な曲だったのかもしれません。



チュチュ 君の前で 僕はこぼれそうさ ずっとワクの外へ すぐにも?

もっと覗きこんで もっと潜りこんで ねじれた味のラズベリー

これは、ラズベリーが豊作だったことを表しています。ザルにこぼれそうなぐらい、ラズベリーが収穫できたようです。ポロポロと、ザルの枠の外にいきたがるラズベリーもいるようです。よかったですね。

覗き込んだりするのは、虫がいないかどうかをチェックしています。潜りこんだやつもいるかもしれません。この表現は、低農薬か無農薬でラズベリーを育てているんだなぁと解釈できます。

こうやって丁寧に育てたけれど、もともと野生種に近いラズベリーは、ほかの果実に比べて、ねじれた味がします。このねじれた味が、丹精込めて作った農家さんにとっては、最高の出来栄えだったというわけなのです。



いかがでしたでしょうか?

スピッツ「ラズベリー」は、本当に、果物のラズベリーを表現した曲だった……そう本気で解釈できるよう頑張ってみましたが、形になっているでしょうか?

他のところでもさんざん言われているとおり、スピッツの初期の曲というのは、性愛を表現した曲というのが多く、苦手な人にとっては、急に気が付いて恥ずかしくなる、という、ある意味地雷原のような感じです。

とはいえ、歌詞の解釈の自由さは、スピッツも認めてくれているので、そこが私たちのような性愛表現が苦手な人にとっては、大変な救いであると言えるでしょう。

セックスソング、という色をつけられてしまっている曲も、こういう感じで、自分なりの好きな解釈をしてみるのも、楽しいのではないのでしょうか?




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