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他県民を嘲笑して、恨みを買う福井県民~本当は怖い福井県~



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、福井県民が意識せずに行っていることが、知らず知らずのうちに恨みを買ってしまっているかもしれない、という、とても恐ろしい話をしていきたいと思います。

ちょっと前に話題になった福井の事件で、「池田町暮らしの七か条炎上事件」というのがあったんですけど、この事件についてのうんぬんはさておき、この池田暮らしの七か条を眺めていた時に、ふと思ったことがあるんです。

そもそも、どうして田舎の人って、他人に必要以上に関心があるのでしょう?

「年収いくら?」「貯金いくら?」「どこにお勤めなの?」「車何乗ってるの?」「その服どこで買ったの?」「子供はどこの学校いってるの?」「どうしてこんな田舎に引っ越してきたの?」「恋人いるの?どんな人?」……

都会では、よっぽど距離が近い人でないと、こんな話はしてこないと思います。正直、赤の他人には聞いたらいけない内容だからです。

ところが田舎では、出会って2秒でこれらのことを聞いてきます。なんという距離の詰め方でしょう。

例の、池田町暮らしの七か条には、まさにこのことをバッチリ記載してあります。


第5条 プライバシーが無いと感じるお節介があること、また多くの人々の注目と品定めがなされていることを自覚してください。(中略)どのような地域でも、共同体の中に初顔の方が入ってくれば不安に感じるものであり「どんな人か、何をする人か、どうして池田に」と品定めされることは自然です。


不安を理由に品定めをする、とのことです。ワタシの不安を払拭するために、アナタのプライバシーを侵害します、と。




いや、先ほど、都会では、よっぽど距離が近い人でないと、と申しましたが、そうなんです。ある程度距離が近い人なら、聞いてもいいんです。心を許した恋人がどこにお勤めなのかを、知っているのは当然です。結婚して子供がいて、生活を一緒にやりくりするなら、自分の相手の年収がどれくらいかを把握していなくては、相談もできないでしょう。

ようは、相手との信頼関係を、土台、基礎、根太、壁と順番に構築していって、さらに階層の高い屋根部分を構築しようとしたとき、はじめて相手のプライバシーという部品を、部分的に使わせていただく必要があるのです。この情報を相手からご提供いただき、また自分も提供し、ともに作り上げることで、「友情」とか「愛情」と言う名の、安らかで強固な二人の心の住処が完成するのです。

では、田舎の人は、相手との信頼関係を素早く築こうとしちゃっているだけなのでしょうか? 早くお友達になれたほうが、楽しいじゃん、とか思っているのでしょうか?

どうも、そうではないようです。

同じく池田町暮らしの七か条からの引用になります。


第4条  今までの自己価値観を押し付けないこと。また都会暮らしを地域に押し付けないよう心掛けてください。

(中略)これまでの都市暮らしと違うからといって都会風を吹かさないよう心掛けてください。


相手の価値観を、聞く気がない、と言っています。

むしろ都会に住んでいた時のことを話せば、都会風という悪口に変換されるから、そうならないように心がけろと言っています。

田舎暮らしをしたことのある人なら、身に覚えのある話だと思いますけれども、移住者はずーっと移住者です。20年たっても40年たっても部外者であり続けます。彼ら部外者がなにか言ったところで、「村のもんでねえのに、偉そうに口出しするな」と言われます。

田舎の人は、「他人のプライバシーを知りたがる」けれども「信頼関係を築こうとしているわけではない」のです。




都会の人のプライバシーを必要としているのは、都会の人の悪口を言いふらして、村同士で楽しむための娯楽にするためです。

娯楽が少ないので、他人の悪口を言うことが、なによりも愉悦な楽しみになりうるのです。

「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」という有名な句があります。山口県の限界集落で、村八分になったのを理由に村人を惨殺した事件がありましたが、この句は、この犯人が書いたものだとされています。都会の人の側には別に悪意はなくとも、田舎者が付け火をして、煙を立てて喜ぶのです。「あいつは、都会風を吹かせておる。生意気だ」と。

部外者の悪口を仲間内で広め合うことは、このうえない娯楽なのです。正義の名のもと、悪者をみんなで叩くのは、この上なく楽しいことなのです。




古代、父親が殺害されたことで近江から越前に逃れて来た、王族の子供がいました。越前は子供の母親の出身地だったので、母親とその親族の保護を求めたのです。この王族の子供は、越前では異分子でした。当然のようにいじめにあいました。王族の子供は成長し、のちに継体天皇と諡されるヤマト王朝の王に君臨しました。越前の人間は、子供時代を過ごした場所ということで王の寵愛を期待しましたが、越前に特別な便宜が図られた、ということはなかったようです。王を保護した恩のある郷土、と越前の人は思っていたかもしれませんが、継体天皇の、越前に対する心境は、どうだったのでしょう? 継体天皇は「私は越前の出身である」とは、ついに公言しなかったそうです。


また、紫式部の父親は、越前武生に赴任してきたのですが、すぐに都に帰ってしまいます。どうしてすぐに帰ってしまったのか、いろんな説がありますが、ようは彼女たちにとって越前は、住み心地のよい土地ではなかったのでしょう。


「アナタほどの立派な人が、どうして都落ちをしてしまったんでしょうねぇ?」


と、ニタニタと悪意を持って聞いてくる田舎者がいたとしたら、紫式部も、その父親も、心穏やかではなかったでしょう。自分の周りには、心の傷をえぐるような悪口をヒソヒソする田舎者たちがわんさかいる。人間が住む環境ではありませんね。

継体天皇や紫式部は日本史最高峰の人物ですが、福井に対する思い入れはどれほどのものだったでしょう? 福井の人は彼らを愛したかもしれませんが、彼らの福井に対する感情は、いまのところなにも伝わっていません。福井を愛していたと思わせるものが、これといって残っていないのです。

同じように、福井に関わった賢人は歴史上数多いと思いますが、彼ら賢人が福井に愛着を持ってくれていたとしたら、今の福井の凋落はなかったんじゃないかと思います。京の都に近く、外国との通交も盛んで、田畑も多い福井なのに、移住者が愛着を持って住み着いてくれないのは、何かの呪いなんじゃないかと思うぐらいです。

私は、この呪いの正体は、福井に住む人の、移住者に対する扱いの悪さにあると思っています。


「誰がこんなとこ、住んでやるものか!」


そう、移住してきた賢人たちに思わせてしまったのが、今日の福井の凋落に繋がっているのだと思っています。




今は、情報化社会です。今まで隠れていた全国の田舎者の悪行が、全国の人々に露見している、そんな時代なのです。

だからこそ、池田町暮らしの七か条は大炎上したのです。

自分たちが行ってきた異分子叩きが、より大規模になって、自分たちにはね返ってきたのです。

田舎民は、かつては、移住者だからという理由で、それがいい人だろうと悪い人だろうと関係なく面白がって叩いてきました。それが正義だったからです。時代が変わって、今度はより大勢の都民から、異分子である田舎民を叩くようになりました。田舎民がいい人でも悪い人でも関係なく、田舎民であることが悪なのです。そう決めつけられて、ぶっ叩かれています。田舎民を叩き、田舎の悪を裁くことが、正義だからです。

そういう流れのもとに、誹謗中傷が一極集中したのが、「池田町暮らしの七か条炎上事件」だったと思うのです。全国の恨みが、正義の心が、池田町民に向けて一気に叩きつけられたのです。

池田町民が受けるべきではない誹謗中傷もまた、池田町民は受けざるを得ませんでした。かわいそうに思います。でも一方で、なんの非もない移住者を、田舎民がこぞって叩き続けていたという歴史があります。この歴史の大きなうねりに、移住者と、池田町民は巻き込まれた、という形です。




どうでしょう?

この一連の流れをみるに、移住者の受け入れというのは、移住者側にとっても、住民側にとっても、簡単ではないということです。

私たち福井県民は、継体天皇や紫式部の受け入れを、うまくできなかったという歴史を持っています。これを反省せず、態度を改めずにいた結果が、こんにちの「池田町暮らしの七か条炎上事件」なのだと思うのです。

では、私たち福井県民は、これからどうしたらいいのでしょう? どうしたら、継体天皇や紫式部のような、移住してくる賢人の心を掴むことができるのでしょう?


信頼関係を築こうとするなら、相手の話をしっかり聞いて、相手の価値観を認めて、ともに住みやすい場所になるように考えていくことが大事です。たとえ今住んでいる地域が、引っ越してきた人の100パーセント望み通りの姿ではなくても、そうなるように努力してくれたという姿勢があれば、満足できるのが人間です。

古代中国にはといった王様がいましたが、彼が統治していた頃の中国は貧しく、王自らが田畑を耕していました。王の足はしもやけになり、脛毛が無くなってしまっていたそうですが、そんな王様の姿を見て、人々の心が一つにまとまっていました。「今は貧乏でも、この王様ならきっと、よい国を作ってくださる。この人についていこう……」と。

高校の漢文の教科書に「鼓腹撃壌」の故事成語が出てきますとおり、彼らが4000年前に行った善政は、こんにちでも伝えられています。

池田町暮らしの七か条の、都会の人に対する態度を知ったら、堯や舜は嗤うでしょう。「我々の時代から4000年も経っているのに、福井県民は、まだこの次元にいるのか」と。


もし、賢人を住民に招きたいと思ったなら、賢人を迎えたのと同じ態度で隣人に接する必要があります。「ああ、この人たちは、私たちを敬ってくれる」と、そう思ってもらうことが大事なのだと思います。

中国周王朝の基礎を築いた文王は、原野の中から太公望という大魚を釣りあげました。また三国志の劉備は、山林の中にいた諸葛亮を、三顧の礼によって迎え入れました。太公望や諸葛亮は世界史でもまれにみる大賢者ですが、それを受け入れるだけの度量のあった文王や劉備こそ、見習うべきでしょう。私たち凡人は賢者にはなれませんが、賢者を迎える度量をもつことは、自分たちの心がけ次第で、どうにでもなります。




いままでの福井県民は、移住してくる他県民を嘲笑して、恨みを買っていました。

これからの福井は、はたして賢者が多く移住し発展する地域になるのか、それとも恨みを買って滅ぶのか。

田舎者福井の動きに、注視していきたいですね。




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