荒れた学校生活といえば、
たいてい、生徒のほうが荒れているものですが、
私の中学時代は、むしろ先生のほうが荒れていまして。
まあキレやすい先生というのが、いました。
テストが終わった後、前回のテストより20点以上、点数を下げた生徒を立たせて、
「お前、勉強したんか」
「いや、したんですけど……」
「したやつがこんな点数になるか!」
といって、ぶん殴るわけです。
かと思えば、
「いや、してなかったです……」
と正直に言ったところで、
「なんでしなかった!!」
と激怒して、やっぱりぶん殴るわけですよ。
その時は何人も立たされて、その場でぶん殴られたので、机から椅子からめちゃくちゃです。
隣で授業していた教員が慌てて入ってきて、
「先生やめてください!」
と止めに入るぐらいでした。
他にも、挨拶が小さいとか、こっち睨んだとか、
何かと難癖をつけて、激怒して、無抵抗な生徒をぶん殴っていたわけです。
これに抗議しようにも、
「まあ、あの先生はすごく教育熱心だから……」
と他の教員たちも、そう言って生徒をなだめるほうに回ってしまうものですから、
もはや誰にも手を付けられない状態であったわけです。
こういう先生ばかりだった、とまでは言いませんが、
こういうことする先生は、三人はいました。
三人いれば、学校生活は暗黒になります。
私たち生徒は、できるだけ機嫌を損ねないよう、
びくびくしながら勉強していたのです。
面従腹背といいましょうか。
当時、クラスのリーダー的な男子がいました。
勉強も運動もできるし、顔もいいし、女子にモテモテの男子です。
このやっかいな先生たちとも、うまくやっていた男子でした。
その、非常に評判のいい男子が、中学の卒業式の日、ボタンをすべて無くした制服を着て、にこやかな顔で、私に言いました。
「中学を卒業したら、同窓会には呼ばないでくれ。俺はいかないから。もうこの中学の、誰とも会いたくないからね」
彼が本当に能力の高い人だということを知ったのは、この時だったと思います。
あれだけ誰とでも仲良くできていた人が、心の中ではそういうふうに思っていたんです。
でも、そんな雰囲気を微塵も見せませんでした。彼の凄まじさが垣間見えた瞬間でした。
それだけでなく、周りを見渡すと、彼に同調するように、誰もが「同窓会は俺もいかない」と口をそろえて言います。
周りにいる男子たちもまた、彼と同じように能力の高い子たちばかりです。勉強がとてもできた子たちで、先生や学校生活を、とくに問題も起こさず、無難に過ごすことのできた子たちでした。
彼らの能力の高さは、こういう劣悪な環境で培われたんだということもまた、事実だったのでしょう。
同時に、彼らの心の闇もまた、この時代に培われたものだったのです。
優秀な彼らが、テストでいい点を取ったり、スポーツを披露したりするというのは、いわゆる大人たちに対する、「媚び」だったのです。
媚びを売ることで、先生たちからの暴力から逃れることができる……。そう考えて、媚びへつらっていた、というわけなのです。
プライドの高い彼らからすれば、中学生活というのは、自らの醜態を晒つづけたという、暗黒の歴史だと思ったのでしょう。
さて、無事に中学を卒業し、高校に入学した私でしたが、
その高校には、自分たちの中学校の、お隣の中学校の生徒たちが多数入学していました。
お隣の中学校から来た生徒というのは、どの子も美人ばかりで、私はまずそれに驚いたのですが、私をさらに驚かせたのは、内面の綺麗さでした。闇という言葉を知らないんじゃないか、と思うぐらい、陽気で、優しくて、穏やかで、明るかったのです。
その中でも、特に私が気になった子がいまして。
その子の前に立つと、ボーッとしてしまって、ろくに話もできないようになってしまうほどの美人でした。
たぶん今でも、まともに話ができない自信があります。八百屋テクテクのお客様としてご来店したら、たぶんまともに接客できないので、来てほしいけれど来てほしくない子です笑
その子を含めたグループで、将来の夢について、という話になったことがありました。
彼女は、目をキラキラさせて、こう言いました。
「学校の先生になりたい!」
私は、驚きました。
(なんで、そんなものになりたいんだ……?)
というのが、暗黒の中学時代を経験した私の、正直な感想でした。
私の思考をよそに、彼女は続けます。
「中学のときに、すっごいいい先生がいて。すごく尊敬できる先生。だから私も将来先生になって、あの先生みたいになりたい」
彼女がそう言ったとき、彼女の周りにいた、同じ中学校出身の子たちが、うんうん、と頷いていました。
中には、彼女と同じように、「私も先生になりたい、あの先生みたいになりたい」と言い出す子もいるぐらいでした。
彼女たちのような人格を作り上げたのは、いい先生たちがいたんだろう……。
と言葉にしてしまうのは簡単ですが、彼女の口から「先生になりたい」という言葉を聞いたとき、私はそれを実感せざるをえませんでした。
私の思考は、先生に対する恨みで凝り固まっていたんですが、彼女と出会い、彼女の曇りのない言葉を聞いた瞬間、私の中の汚れた部分がすーっと洗い流されたんです。
同時に、私の頭の中に、スピッツの、
「日なたの窓に憧れて」
のイントロが流れはじめたわけです。
どうですか? この圧倒的なドラマチックさ。
この場面でスピッツが流れてしまったら、もう誰がどうやっても逆らえないですよね。
中学三年分の恨みも消し飛びますし、ついでに恋にも落ちてしまいます。
こんな風に、スピッツは、さわやかな風と共に、どこか私の人生の場面に現れては、物を考えるきっかけを作ってくれたり、恋に落としていったりしたわけなのです。

高校の帰り道にはスピッツ聴いて帰っていました。