何故、ひとは野良猫に餌をあげるのか



八百屋テクテクでは、保護猫活動を支援しています。

特定の商品をお買い上げいただきますと、その売り上げの一部を保護猫施設に寄付させていただいております。



「テクテクさんは、猫が好きなんですね」と声をかけられることがあります。もちろん好きなので「好きです」と答えます。

「ではなぜ、猫を飼わないのですか?」と次は絶対に聞かれます。そうなんです。猫は好きなんですが、自分で飼ったりはしません。でもその理由をお答えするのは、とても難しいです。

「いやぁ、住んでいるアパートが猫禁止なんすよ~」なんてお茶を濁したりしていますが、たとえ猫禁止じゃない場所に住んでいたとしても、私は猫を飼わないでしょう。

今回は、そのあたりを少し、考えてみたいなと。

主題と違うよ、って? そんなに急がずに、ゆっくり、お付き合いいただきたいと思います笑



猫を飼わないについての理由ですが、結論から申しますと、猫を飼わないことが、猫の幸せなんだと思うからです。

いや、ごめんなさい。結論からとか前置きしちゃいましたが、実はこれ結論でもなんでもないです。猫を飼わないことが猫の幸せかどうかなんて、本当は自分の中で結論がでていません。

ただ、どちらかといえば、猫を飼わないほうが、猫にとって幸せなんだろうな、という考えに傾いている、という微妙な感じです。



現在、猫はもちろん、ペットを飼う環境がものすごく改善されました。

餌もいろんなものが販売されています。家飼いのために衛生状態もよく、ワクチン接種も去勢も必須です。病気にかかれば病院にいき、寿命がつきるまで看病をします。ちゃんとしたお墓まで用意してもらえるペットも珍しくありません。

これは、ペットは家族の一員だから、という考え方のもと、大事にされてきた結果だと思います。今ではこれが、ペットを飼う人の常識として認識されるようにまでなってきています。

これは、いいことだと、私は思います。




一方で、昔の猫環境はどうだったのでしょう?

調べたわけではないので確実ではないのですが、30年ぐらい前までの福井では、飼い猫よりも野良猫のほうが多かったんじゃないでしょうか。

飼いネコも、家飼いをしているところは珍しく、放し飼いをしていました。当時の猫を題材にした作品「ルドルフとイッパイアッテナ」や「3丁目のタマ」なんかは、そんな世界観です。飼い猫と野良猫が入り混じっていたわけで、首輪をしているかしていないかで、飼い猫か野良猫かをかろうじて見分けていたわけです。

野良猫だけじゃなく、野良犬もいました。福井市の郊外あたりで、マクドナルドハンバーガーなんかを食べ歩きしていると、野良犬によく襲いかかってこられました。噛まれて大変でした。流血するぐらい深手を負った記憶がありますが、病気にならなかったのが幸いですね。

もっとも、野良犬は危険だということで、その頃にはすでに駆除が進んでいて、姿を消していった頃だと思います。野良猫もまた、公衆衛生の点から、姿を消しつつあったと思います。

その頃の猫の飼い方といえば、ほとんどが、餌をあげるだけでした。私たち人間には、寒さをしのぐ家があり、病気を治す病院がありますが、猫にはありません。なので、猫の寿命が非常に短かったのです。

その頃、猫と接していた方というのは、猫に対する死生観が現代人と違っていました。外にいる虫や植物のように、春に誕生し夏に成長し、冬には息絶える、いわば自然の一部だと思っていました。

猫は死に際になると姿を消すと言われていましたが、この伝承もこの頃までは普通に言い伝えられていました。虫が冬になると消えるのと同じく、猫がそっといなくなることに、昔の人は特に感情をもたなかったのです。



この、昔の死生観を持つ人と、現代人が、猫をめぐってやりとりをしたら、どうなるでしょう?



現代人は「猫は人間と同じ。寿命まで寄り添えないのは無責任! 責任をとれないなら飼うな」でしょう。

30年前の人は「野良猫がかわいそうだから餌をあげた。私いいことした。そこから先は知らんけど」だと思います。



この現代人と前時代人は、分かり合うのがとても難しいですよね。

なぜなら、前提としている死生観が違うのですから。

現代人にとっては、野良猫に餌をあげることは、禁忌です。野良猫の数を増やすことに繋がり、結果的に殺処分される個体を増やすだけだと認識しているからです。

でも、前時代人にとっては、猫は自然な生き物です。冬がくれば一定数がいなくなることを知っています。猫が何匹子供を産もうが、翌年には一匹程度しか残らないことを知っています。だからせめて、死が巡ってくるまでの間、飢えないように餌をあげることが、どうしていけないことなのか、と反論するでしょう。



これ、30年以上生きている私にとっては、両方の言い分が理解できちゃうんです。

同時に、現代人と前時代人が分かり合うことの難しさも、理解できちゃいます。

でも、そんな私でも、わからないことがあります。

「猫にとっては、何が幸せなんだろう」ということです。

そりゃあ、家族として大事にされている猫にとっては、それが一番幸せなんだと思います。でも、その裏で、引受先がいなくて処分されてしまう猫がたくさんいます。

そんな状況を、前時代の人がみたら嘆くと思います。「餌だけあげたら、あかんのか?」と後先考えずに言い出すと思います。

私が、現代人と前時代の人との間に立っていたとしたら、どっちの立場に立てばいいか、迷うと思います。



私が猫を飼わない理由にも繋がっているんですけど、うちの猫には餌をあげてぬくぬく育てるけれど、外にいる猫は餌もあげないし家にも入れない、というのは、猫自身の死生観にはたして適っているのかどうか、悩むところです。

自然に生まれ、自然に遊び、自然に増え、自然の中で死ぬ。これを望んでいたとしたら、猫にとっては、人間に飼われるのは大きなお世話ということになります。



現代では、野良猫を見かけなくなった一方で、ペットとして猫を飼う人がとても増えているそうです。

でも、野良猫に餌をあげる問題、というのは、なかなか消えることはないでしょう。

なぜなら、ペットとして猫を飼えなくなった人が、猫を捨てるからです。

その猫が、野良猫化し、その猫に餌をあげるひとがいることで、野良猫問題が発生しています。

ペットとして飼ったなら、最後まで責任を持つべきで、責任を持たないことについては責められるべきだとは思いますが、野良猫に餌をあげるひとに「時代が変わったのでダメです」と訴えていくのは、とても時間のかかることだと思います。

猫に餌をあげているひとは、猫のためを思って、あげているわけですからね。




幸せというのは「これ」と決められるものではありません。ましてや、多くの人が、それぞれの「幸せの形」を描いて進んできています。

だから、自分の意見に固執せず、悩んで、考え続けることが大事なんだと思います。

私は猫は飼わないですが、猫にとって少しでもいい社会になることを願っています。

言葉にするのは難しいですが、少しでも伝わればと思います。



閲覧数:20回

最新記事

すべて表示